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新しい年が始まりました。

ナントか乗り越えた'09年、この厳しさはたいして変わりそうにないですけど、今年も多くのお客様に喜んで頂けますよう頑張りたいと思います、よろしくお願いいたします。

ここ数年のお正月の過ごし方、箱根駅伝にかじりつきです。朝8時からお昼過ぎまで延々とただひたすら、あの各選手の力走を見続けます。2日間にわたり12時間ほど家のテレビを独占するのですから家族からはシロイ目でみられてます。

子供の頃から見ていた記憶はあるのですが、ここ5~6年面白くてほんとかじりつきです。筋書きなしのいろんなドラマが見れて毎回感動ものです。社会人駅伝とかには全く興味が湧かないのに、なぜかこの箱根駅伝なんですよネ。ゴロゴロ寝正月には持って来いの必須アイテムです。

さて今年は景気回復を願い(商売繁盛は3か所でお願いしときました)世の中が明るい話題であふれますように。

 


豊嶋 誠司(とよしま せいじ)  1961年 熊本県生まれ

調理師学校卒業後
神田・学士会館・青山ジョエル・葉山ラ・マーレ・ド・チャヤで修業
その後 銀座アンリ、レ・ザンジュで依田シェフ(現・青山ラマージュ オーナー・シェフ)に師事する。
都内レストランのシェフを経て銀座・レ・ザンジュのシェフに就く

2001年2月
エル・ダンジュを独立開店現在に至る。
     
 

料理人への決断
大学受験に失敗し予備校の願書も出してない僕は(まさか全部落ちるとは・・・)進路指導室に 呼ばれる「豊鴫、お前この先どうすんだ」どうすんだって言われても。。。とその時部屋の一番隅にあった調理師学校の学校案内「あ!先生、僕ここ行きます」浪人する気はない僕はここで即決 してしまいました。これが僕の料理人人生の始まりです 。

厳しい修行、そして結婚・・・
熊本県山鹿市という温泉街からまずは大阪の調理師学校へそして東京ヘと上京しました。 最初の職場は叔父の紹介でした3年は我慢しろと念を押され、コテコテのクラッシックな料理を学ぴました。そしてフランス修業の夢を、膨らませ先ずはフランス人オーナー・シェフの店ヘと ジョエルへ行きます。次はいざフランスへのつもりが何故か葉山へ・・・当時のチャヤは熊谷喜八シェフ全盛で凄い魅力だったんです。ところがキッチンに空きはなくサービスの仕事をやる事になります。でも今となっては、ここでサービスの仕事を経験できた事、客席からキッチンの仕事を 見れた事が後に、僕がシェフという立場で働く時にすごく役に立つことになります。 そんな時、先輩の紹介で依田シェフと出会います。フランス修業から帰国されて間もないシェフ は当時最先端の料理を次々と披露され、まさに注目の料理人でした。ちょうどアンリのキッチン に空きがあり、そこでフランス修行に行くことも忘れ依田シェフに師事する事になりますそしてシェフのレ・ザンジュヘの移動に伴いスー・シェフとして付いて行きます。 この頃やはり一度はフランスヘと夢は捨てきれず2週間の休暇をもらいパリへ、当時同じ料理 人仲間が4人程パリで修業しておりまして、彼らのアパートを宿にしてレストランを食べ歩きし たり、美術館へ行ったり、ブラブラしたり、本当はそのまま住みつきたい気持ちでしたが、でも やっとフランスの文化に触れる事ができました。その後、料理コンクールに出るんですが、見事、優勝!そのご褒美でまたパリへ行けました。ちょうどこの時期に結婚です。これを期にレ・ザン ジュを退職し、都内のレストランのシェフに就きますが鳴かず飛ばずの日々が2年ほどつづきま す。この仕事を始めて、一番つらかった時期ですそんな時、依田シェフの独立に伴いレ・ザンジュのシェフの話がきたんです銀座のシェフ、荷は重過ぎましたがこの上ない喜びでしたがむしゃらに働きました。12から13人の部下を率いて、いつの間にか人を指揮する立場になっていたんですね。いろんな仕事を経験することができました。 フランスの地方の食べ歩きにも2回に渡り行かせてもらい鉄人(料理の鉄人、フジテレビ系列)とも対戦できたし!!その分、苦労も絶えませんでしたけど・・・

そして、エルダンジュオープン・・・これから
そして独立です。「なんで聖蹟桜ヶ丘なの?」よくそんな事を聞かれます。この街に移り住んですごく気に入ったこと、緑に囲まれた一軒家でレストランを開きたかったことから、都心でやろうなんて全く考えていませんでした。多摩にもちょっとだけオシャレして、食事できるレストランがあってもいいですよね。
やっと3年が経ちました。これからもたくさんのお客様に喜んで貰えるようお店を続けていきたいと思います。